ドクターのご紹介  

         
   山田 光胤

   Yamada kouin
   金匱会診療所 名誉所長  
     
 昭和21年、敗戦の翌春、医科の学校へ入り数日後、大塚敬節先生の弟子になって漢方の勉強を始めてから今年はちょうど60年になった。
 昭和32年、大塚先生が津村順天堂社長・津村重舎氏と協力して、日本最初の漢方施設、中将湯ビル診療所(現、金匱会診療所)を設立させた時、初めから医師団に加えて頂いて以後、漢方医療専一になってより50年が経った。
 月日の経過は実に速い。小学校低学年の時に発病した難病が治らず、何回か命の瀬戸際に立ったが、幸い大塚敬節先生に巡り会えて、先生の漢方医療を受けて健康になった。
 旧制中学へは、他の少年達より2年遅れて入学したが、以後丈夫になって、5年間1回も学校を休まなかった。ところが、4年終了の時、旧制高校文科の入試を受けようとした日の朝、流感で高熱を発して受験出来なかった。
 戦争が激しくなったので、文科を諦めて陸軍士官学校を受けたら合格してしまい、昭和18年春入校した。その為、秋に起きた学徒出陣には行かず、又陸士にも遅れての入校だったので、2年半居たが卒業にならず、遂に戦場へ出ることがなかった。
 天池のお力で頂戴した命の残りで、医者になろう、そして漢方をやろうと一途に過した。
西洋医学も充分に学んで、昭和33年には医博の学位も受けた。だがその時はもはや私は、漢方診療専門医師だった。(平成18年3月 記)

 
 
日本東洋医学会会長、国際東洋医学会会長を務め、現在日本東洋医学会名誉会員。
日本東洋医学会認定 漢方専門医
昭和26年東京医科大学卒。大塚敬節先生に師事。

全国に数多くの弟子を輩出している、漢方界の長老のお一人。