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金銀花は、花が初め開いたとき白色で二三日後に黄色となり、新旧相混じって黄白相映ずるものだからこの名がある。別名、忍冬(にんどう)とあるが、これは冬を凌いで凋まぬところからきていると、梁(りょう)の時代の名医別録に記載がある。 |
呉茱萸は今から250年ほど前に中国から日本に入ってきました。その生薬が山椒に似ていることから、唐の国の山椒の意味で、カラハジカミとしました。ハジカミとは山椒のことです。 |
アンズは私たちの食生活でなじみが深いものです。例えば果肉はお祭りの時に出店で売られているあんず飴や、スーパーで売られているあんず棒など、種子は中華料理に出てくる杏仁豆腐(アンニンドウフ)に使われています。また、漢方でもその種を杏仁と称し使います。 |
サンシュユは別名ハルコガネバナといわれるように、3月頃に明るく、美しい黄色の花を咲かせます。そして10月頃に赤く熟した実を結びます。この果実の種子を取り除き日干しにしたものを山茱萸と称し、生薬として用います。 |
ウスバサイシンは4〜5月頃に2枚の葉の間に、地味ですが淡紅褐色の壷型の花を咲かせます。ウスバサイシンは山合いの陰地に自生する多年草で、根茎及び根を細辛と称し、漢方薬として使用します。 |
良く使用される漢方薬の中に黄耆という生薬があります。この植物は日本にはほとんど自生していませんので、薬草園でしか見ることしかできません。又、黄耆と同じ仲間で晋耆(しんぎ)という生薬があり、これを黄耆の代わりに使用する場合があります。 |
半夏はその形容から中国では別名水玉とも名付けられています。又、半夏とは礼記(らいき)の月令(げつれい)に『五月半夏生ず』とあり、これは夏の半に相当するという意味だそうです。日本では別名へそくりといわれ、これは昔農婦が孫の子守をしながら、畑の雑草であるカラスビシャクの球茎を掘り、小遣い稼ぎをすることがあったためだそうです。 |
当帰は中国の古い書物によれば、妻が婦人病を患い子供が出来ないので夫が家によりつかず、困った妻がこの植物の根を煎服して病気が治り『恋しい夫よ当に我が家に帰るべし』といったことから当帰の名が生まれたとされています。しかし、現在日本で当帰と呼ばれている植物は中国の当帰とは違う別の種類とされています。 |
センキュウは中国原産の多年草で、日本には江戸時代の初期に薬用として入ってきたものです。全体にセロリを甘くしたようなのような独特の香りがあり、秋の初めに白色の小さな五弁花を散形につけます。 |
江戸時代上方から東下りをする旅人は、東海道の三島の宿に立ち寄って、生薬の柴胡を買い求めるのが、ならわしのようになっていたそうです。これは他の地のものにくらべて品質が良いというのが評判だったからです。三島の薬種問屋に持ち込まれる柴胡は、伊豆の草原地帯の山々に野火を放って、山焼きをしてから掘り出したものと云われています。その当時から柴胡は全国各地で生産されていましたが、三島産が特に有名だったので、自然に植物名もミシマサイコの名で呼ばれるようになったそうです。 |
ダイダイはヒマラヤ原産で、昔中国から入ってきました。暖地で栽培されますが、冬になると果実は橙黄色になります。冬を過ぎても果実をそのままにしておくと、秋に緑色になり枝をつけたまま2〜3年は落ちません。代々実がついているのでダイダイの名が付いたとされています。生薬としては成熟した果皮を橙皮(とうひ)、未熟果実を枳実、枳殻(きこく)と称して使用します。枳実と枳殻は採集時期(成長度)によって分けられます。 |
七味唐辛子の原料の一つとして知られている山椒は、中国の古い書物の中では蜀椒(しょくしょう)、川椒(せんしょう)の名で収載されています。 |