「漢方精撰百八方」 8

81.〔五積散〕(ごしゃくさん)
〔出典〕和剤局方
〔処方〕茯苓、白朮、陳皮、半夏、蒼朮 各2.0 当帰、芍薬、川キュウ、厚朴、白シ、枳殻、桔梗、乾姜、香附子、桂枝、麻黄、大棗、甘草 各1.2
〔目標〕
 この方は気・血・痰・寒・食の五積(体内に五つの病毒の鬱積すること)を治すとう意味で名づけられたものである。
 体質的に肝と脾が弱く、寒と湿に感じ、気血食の鬱滞を来して起こる諸病に用いられる。
 和剤局方中寒門には、「中を調え、気を順らし、風冷を除き、痰飲を化す。脾胃宿冷、腹脇脹痛、胸膈停痰、嘔逆悪心、或いは外風寒に感じ、生内冷に傷られ、心腹痞悶、頭目昏痛、治肩背拘、肢体怠惰、寒熱往来、飲食進まざるを治す。及び婦人血気調わず、心腹撮痛、径行均しからず、或いは閉じて通ぜず、並びに宜しく之を服すべし」とある。
 本方の適応するものは概して、顔色勝れず、上半身に熱感あり、下半身が冷え、腰、股、下腹などが冷え痛み、脈は一般に沈んで腹は軟らかいか、ときに心下に硬く張っている。
〔かんどころ〕
 気・血・痰・寒・食の五積のうち、とくに寒を主とし、津田玄仙は、腰冷痛、腰股攀急、上熱下冷、小腹痛の四症を目標としている。
〔応用〕
 本方は主として、急性慢性胃腸炎・胃痙攣・胃酸過多症・胃潰瘍・十二指腸潰瘍・疝気(腸神経痛)・腰痛・諸神経痛・リウマチ等に用いられ、また脚気・白帯下・月経痛・月経不順・冷え性・打撲傷・半身不随・心臓弁膜症・難産(酢を加える)・ヂフテリーの一症・奔豚症等に広く応用される。
〔治験〕
 胃潰瘍と嘔吐
 家兄矢数格が中学時代、マラリアに罹り、キニーネを服用してひどい胃障害を起こした。嘔吐やまず、飲食薬剤一切納まらず、羸痩その極に達し、遂に嘔血をみるに至った。大学病院を初め、諸専門医を歴訪したが、この頑固な嘔吐は治らず、死を待つばかりであった。このとき森道伯翁の漢方治療をうけ、奇跡的に治癒した。
 そのときの処方が五積散で、繰り返した胃洗浄などによって、胃の寒冷と停飲とを招来していたもので、主治にある脾胃宿冷、嘔逆悪心に該当していた。本方三帖によって年来の嘔吐が全治し、その後鍼灸薬の三者併用により体力全く恢復し、医を志して漢方治療に従事するようになった。

 矢数道明


82.〔四物湯〕(しもつとう)
〔出典〕和剤局方
〔処方〕当帰、芍薬、川?、地黄 各4.0
〔目標〕この方は和剤局方、婦人諸病門に、「営衛を調益し、気血を滋養し、衝任(衝脈、任脈)虚損、月水不調、臍腹絞痛、崩中漏下、血?塊硬、発歇疼痛、妊娠宿冷、将理宜を失し、胎動して安からず、血下りて止まず、及び産後虚に乗じ、風寒内に博ち、悪露下らず、結して?聚を生じ、小腹堅痛、時に寒熱を作すを治す」とある。
 本方は婦人の聖薬といわれ、婦人の諸疾患に用いられる基本方である。補血、調血、順血、涼血熱、滋潤、鎮静の能があり、患者は貧血、皮膚枯燥の傾向があり、?血、月経不調、自律神経失調等の症状がある。
 脈は沈んで弱く、腹は軟弱、任脈臍上の動悸をふれるのを目標とする。
〔かんどころ〕腹全体が軟弱、真綿を掴むようで、しかも?血停滞し、任脈上の水分(臍上一寸)の穴に動悸を触れ、自律神経の失調症状を呈するもの。
〔応用〕本方に種々の加減をして用いる。産前産後諸病・産後の脚弱・産後の舌糜燗・産後血脚気・月経異常・不妊症・血の道症・皮膚病(乾燥性)・痿躄・カリエスなどに応用される。
〔附記〕本方を服用して、心下に痞え、食欲衰え、または下痢するものは速やかに他方に転ずべきである。貧血甚だしく、口唇に血色なく、しかも脾胃の弱いものには禁忌である。却って四君子湯、帰脾湯などがよい。「四物湯脚気加減」、産後の血脚気、両脚痿弱、倦怠、浮腫には、木瓜、蒼朮 各3.0 ?苡仁5.0を加える。
「四物湯加亀板、石結明 各3.0」脊椎カリエス、産後痿躄に用いられる。
「七物降下湯」黄柏2.0 黄耆、釣藤 各3.0 高血圧の虚証で、腎障害などがあって、柴胡剤や大黄剤の用いられないものによい。大塚敬節氏経験方。杜仲3.0を加えて八物降下湯。
〔治験〕産後血の道症
 34才の韓国婦人、4年前産後発病、呼吸困難、動悸、肩凝り、腰痛、子宮下脱感、足冷、冷汗流るる如く、全身倦怠感甚だしく、箸を持つのもだるい。顔色が一日に7度も変わり、憂鬱でたまらず、時々足の裏に火がついたように熱く感じるという。脈沈弱、腹軟弱、臍傍に動悸がある。四物湯脚気加減を与えたところ諸症好転し、二ヶ月後には家事一切を弁ずるようになった。

矢数道明

p168
83.〔浄腑湯〕(じょうふとう)
〔出典〕万病回春
〔処方〕柴胡、半夏、茯苓 各3.0 沢瀉、白朮 各2.0 山稜、我朮、山査子 各1.5 人参、黄連、乾生姜、大棗、甘草 各1.0 胡黄連0.5
〔目標〕万病回春癖疾門に「小児一切の癖塊、発熱、口渇、小便赤く、或いは渋る者を治す」と。
 本方は柴苓湯の変方で、腹部の頑固な鬱熱を解するものである。小児一切の癖塊というのは、所謂結核性腹膜炎の初期における、腹部膨満と、硬結癒着などを意味する者で、昔小児の「脾疳のむし」といっていたのは、即ち結核性腸間膜癆である。腹部膨満、緊張、硬結があり、寒熱往来し、高熱続き、口渇、小便赤くして渋るというのを目標とする。 
〔かんどころ〕胸脇苦満、腹部膨満、腹筋緊張、硬結または癒着、往来寒熱、小便赤渋。
〔応用〕小児に多く用いられる。急性慢性腹膜炎・結核性腸間膜癆・幼児急癇・小児神経質(疳のむし)・鼻の下赤くただれる滲出性体質者、小児不明の高熱等に応用される。
〔附記〕慢性症に移行し、熱情去り、虚状の加わったものは消疳飲(しょうかんいん)を用いる。人参、神曲、茯苓 各3.0 黄連、青皮、縮砂、甘草 各1.5 胡黄連0.5
〔治験〕結核性腹膜炎
 6才の女児、昭和25年5月、茨城にて診療していたときのことである。高熱40度を越え、嘔吐を繰り返し、小児科病院に入院した。腸チフス、脳膜炎、敗血症、粟粒結核などの疑いの下に精密検査を行ったが、病名は全く判らなかった。私が往診して、患児の布団を除いたときには、既に結核性腹膜炎の徴候が判然としていた。診ると腹部膨満して太鼓の如く、右臍傍に硬結があり、圧に対して過敏である。脈は浮数で力があり、舌に白苔がある。よって浄腑湯と与えたところ、3日目から解熱し始め、嘔吐も止んだ。
 ところが数日後突然、硬結癒着より腸閉塞症状を惹起したので、外科病院に転院した。ストマイ注射により、手術はせずに済んだが、以来四肢羸痩骨隆し、腹部は更に膨満して太鼓の如くなった。脈は細小数、輸血と栄養注射により辛うじて生命を維持し、余命数日の中と宣告されていた。1ヶ月の後私は再度往診し、虚羸見る影もなく、煩躁啼泣のさまは断末魔を思わせる。口渇、小便赤渋、しかし食欲は充分にあて餓鬼の如く食を欲するとのことである。私は再び浄腑湯を与え、病院に秘して食を与えさせたところ、諸症奇跡的に好転した。
 月余の後には消疳飲に転方し、半年の後全く平常に復し、旧に倍する健康体となった。

                                  矢数道明


p170
84.〔秦ギョウ別甲湯〕(じんぎょうべっこうとう)
〔出典〕衛生宝鑑
〔処方〕柴胡、別甲、地骨皮 各3.0 秦?、知母、当帰 各2.5 青蒿、烏梅 各1.5 乾生姜0.5
〔目標〕この方は衛生宝鑑の虚労門に、「風労、骨蒸、壮熱、肌肉消痩し、脣紅頬赤、気?(あら)く四肢困倦、盗汗あるを治す」とある。虚労というのは今日の肺結核及びその類似症を指している。本方は結核症の中で、特殊の病型を呈しているものに用いられる。即ち咳嗽、喀痰、高熱等はなく、胸部に所見がありながら劇しい症状を現さず、微熱が続き遷延するもので、現代医学でいう増殖型の結核ともいうべき証によいのである。
〔かんどころ〕(1)結核が潜在していたところに外感をうけ、漸次結核の症状を現し、発熱蒸々と続き、両頬紅潮、胸部に所見があるが咳嗽は殆どないものである。
(2)現代の化学療法を行った後、はげしい症状は去り、しかも全治せず、元気恢復せず、食欲なく、微熱続き、釈然としないもの、(3)集団検診などにて病巣を発見し、他に症状少なく、成形手術もできないというようなものに本方を用いるとよい。
〔応用〕増殖型の肺結核・肺炎後の後遺症・肋膜炎後の後遺症・流感後の微熱などに用いられる。
〔附記〕本方を服用して、咳嗽や喀痰の症状が起こるものは適応症ではない。筆者は本方に白朮、茯苓 各3.0 を加えて用いている。
〔治験〕成形手術後後遺症
 39才の男子。12年前に肺結核といわれ、入院加療する事2年、9年前に胸郭成形手術をうけ、右肋骨7本を手術した。近年は家業に従事しているが、常に疲労感があり、風邪ひき易く、時々発熱を繰り返し上気道炎を起こしがちであった。
 顔色蒼白で、栄養は衰え、腹筋緊張して胸脇苦満の状がある。また腹部には随所に圧痛を訴え、過敏症である。聴診すると右側ばかりでなく、左肺上葉にも呼気延長があり、気管支音が聴取される。脈は稍弱く、舌白苔著明であった。
 初め小柴胡湯に二陳湯加減を与えたが、却って微熱が出て、自汗、不眠、全身倦怠感を訴えるようになった。よって秦?別甲湯に茯苓、白朮を加えて与えたところ、服後気分が良く、食欲と元気が出で、家業に従事するも疲れはなくなった。患者自らこの薬が実に体に合っているように思うといって続服している。

                                                 矢数道明

85.〔清肺湯〕(せいはいとう)
〔出典〕万病回春
〔処方〕茯苓、当帰、麦門冬 各3.0 黄?、桔梗、陳皮、桑白皮、貝母、杏仁、山梔子、天門冬、大棗、竹? 各2.0 五味子、乾生姜、甘草 各1.0
〔目標〕この方は万病回春に「一切の咳嗽、上焦痰盛なるを治す。或いは久嗽止まず、或いは労怯(つかれよわる)となり、若しくは久嗽声唖(声が出なくなる)し。或いは喉に瘡を生じるものは、是れ火肺金を傷るなり。並びに宜しく此湯を服すべし」とある。
 胸部(上焦は横隔膜より上方)の内熱により、痰ができて、咳嗽が続き、痰は粘稠で切れ難く、永びくと咽が痛んだり、むずむずしたり声が嗄れたりする。痰の色は黄色のことも、青いこともある。これは火(熱)が肺金を攻めるのである。(五行の相生相克関係では火尅金ということになっている。)
〔かんどころ〕烈しい咳嗽があり、古い痰が多くできているが、なかなか切れにくい。慢性に経過して、痰が出るまで咳嗽に苦しむ。
〔応用〕慢性気管支炎・肺炎・肺結核・気管支拡張症・気管支喘息・慢性咽喉炎・心臓性喘息などに応用される。
〔附記〕熱と咳嗽が烈しく、血痰の出るものは、五味子、杏仁、貝母、桔梗を去り、芍薬、地黄、紫苑、竹?、阿膠を加える。古方の麦門冬湯加地黄、黄連、阿膠と似ている。
〔治験〕気管支拡張症
 53才の婦人。この人は8年前から喀痰がひどく、黄色い粘痰を喀出する。レントゲンでみると結核の所見がある。病院では気管支拡張症という診断で、化学療法も行っている。
 この1ヶ月前から、咳嗽が激しくなり、2週間以来、右の胸痛と、声が嗄れてきて、話をするのに力が入らない。咳は朝がひどく、痰が出るのでせきこむ。また煙草のけむりを吸うとてきめんに烈しくなる。肩凝りと全身倦怠を訴えている。
 栄養は衰え、痩せ細って顔色は蒼く、脈は稍浮で少しく頻数、腹は心下が少し張っている。熱は37度3分位、舌の奥の方に白苔があり、前方は一皮むけたようになっている。両肺野に小水疱音と笛声音が聞こえる。「久嗽止まず、声唖し」、烈しい咳嗽で痰が切れにくく大量の粘痰が出ることから、清肺湯の証として与えたが、十日分で著しく咳嗽が減少し、二十日分で咳嗽の苦しみからすっかり解放され、暫く服薬を続けた。

                                  矢数道明
p174
86.〔蘇子降気湯〕(そしこうきとう)
〔出典〕和剤局方
〔処方〕蘇子3.0 半夏4.0 陳皮、厚朴、柴胡、桂枝、当帰 各2.5 大棗、甘草 各1.0 乾生姜0.5
〔目標〕この方は和剤局方の一切気門に「男女虚陽上り攻めて気升降せず、上盛に下虚し、膈壅(かくよう)痰多く、咽喉利せず、咳嗽、虚煩、引飲、頭目昏眩、腰痛脚弱、肢体倦怠、腹肚絞痛、冷熱気瀉、大便風秘、渋滞通ぜず、肢体浮腫、飲食妨げあるを治す」とある。
 足冷と喘息を目標とするが、元来体質虚弱の人や老人に多く、下焦両脚に力なく、痰が多く上衝して呼吸困難を訴えるものによい。気管支喘息よりも慢性気管支炎に用いられる。
〔かんどころ〕諸病足が冷え、喘咳し、虚弱の人に多い。所謂痰持ちにこの証がある。
〔応用〕慢性気管支炎・喘息性気管支炎・肺気腫・耳鳴・吐血・衂血・歯槽膿漏・口中糜燗・走馬疳・脚気・水腫等に応用される。
〔附記〕蘇子降気湯に、桑白皮、杏仁を加えたものは浅田家にて紫蘇子湯加桑白皮、杏仁といっているものに当たる。千金方の処方である。
〔参考〕高橋道史氏は、この方は真の気管支喘息ではなく、慢性の気管支炎の症に効くものであるといい、腹証は胸脇苦満があって、柴胡別甲湯の症の一歩手前にあるもののようであると述べている(漢方の臨床2巻4号)。また大塚敬節氏は、足冷と呼吸促迫を目標として気管支喘息にこの方を用いたが、奏功したことがない。慢性気管支炎の患者で体力がそれほど衰えないものに用ゆべきものと思うといっている(症候による漢方治療の実際)。
〔治験〕喘息性気管支炎
 78才の老婆、8年前より痰と喘に悩まされ、呼吸困難、足冷と上衝顕著で医師からは喘息といわれていた。痰の色は白く、いつも痰壺を側におき、一日中に一杯になる。
 栄養は普通、胸部に笛声音をきき、心下痞?し、左臍傍に動悸がある。私はこの患者に小青竜湯を与えるべきか、蘇子降気湯にすべきか迷ったが、その合方を与えてみた。すると服薬後十日目には痰壺が不要になったという。そこで小青竜湯だけにしてみると、胃の具合が悪くて飲みにくいという。再び合方に戻したところ経過がよかった。そこでこんどは蘇子降気湯だけにしてみたら、飲んだ後で気持ちが悪くなり、却って呼吸が苦しいといって一日分しか飲めなかった。
 その後二方を合方したものが最もよいといって、これを持薬にしている。

                                  矢数道明

p176
87.〔八味帯下方〕(はちみたいげほう)
〔出典〕名家方選
〔処方〕当帰5.0 山帰来4.0 川?、茯苓、木通 各3.0 陳皮、金銀花 各2.0 大黄0.5〜1.0
〔目標〕この方は本朝経験による処方で、勿誤方函に「湿熱(性病を指す)薀結(つもりつもって結ばれ解けぬ意)し、臭物の類を下すものを治す」とある。
 本方は婦人帯下を治す妙剤とされている。淋毒性のものでも、トリコモナス性のものでもよく、それほどひどい炎症充血はない。亜急性から慢性の経過を取って、やや貧血気味、冷え性で、腹部も比較的軟弱なものに用いられる。
〔かんどころ〕大黄牡丹皮湯、竜胆瀉肝湯などは実熱の証である。清心蓮子飲は虚証である。本方はその中間型のものに使ってみるとよい。
〔応用〕本方はいろいろの原因による帯下、白帯下、黄帯下、淋毒性子宮実質炎などによる帯下、トリコモナスによる帯下などに応用される。
〔附記〕名家方選(浅井南皐)の雑瘡門に、大解毒湯という処方があり、「黴毒、瘡を発し、或いは骨節疼痛、或いは下疳、糜燗、新久を問わず、兪え難き者を治す」とある。
 上茯苓、川?、木通、忍冬、茯苓 各4.0 大黄0.5〜1.0(この方に近い)
〔治験〕トリコモナス
 52才の婦人、二年前から黄色い帯下が相当量下り、陰部が痒く、婦人科で診察を受けたところ、トリコモナスによる帯下と陰部掻痒症であるといわれた。
 そのほかこの婦人には、2年前から座骨神経痛があり、歩行困難を訴え、手足に湿疹が出ていてこの方も痒い。
 栄養は中等度、顔色は蒼白で貧血性、月経は41歳の時、空襲で驚いたためピタリと止まって終わった。子供は一人もない。脈も腹もそれほど力がなく、ひどい?血症状も認められたかった。
 これに八味帯下方を与えると、二十日間の服用で、帯下はその大半を減じ、座骨神経痛も殆どよくなった。結局五十日間服用して、帯下と神経痛は全治した。
 最近帯下を主訴とした患者に、八味帯下方を与えた十例について調べてみた。その中効果のあったものは五例であった。それらは大体に於いて栄養は中等度または痩せ型で貧血気味、腹証もそれほど緊張や抵抗圧痛などがなく、あっても少ないというものに有効であった。

                                  矢数道明
p178
88.〔分消湯 〕(ぶんしょうとう)
〔出典〕万病回春
〔処方〕蒼朮、白朮、茯苓 各3.0 陳皮、厚朴、香附子、猪苓、沢瀉 各2.0 枳実、大腹皮、砂仁、木香、燈心草、乾生姜 各1.0(腎炎による浮腫には生姜を去るがよい)
〔目標〕この方は気(ガス)と水をめぐらし去る薬を組み合わせたもので、皷脹と腹水、全身浮腫にも用いられる。即ち皷脹や浮腫や腹水があって、心下部が堅く緊張し、小便が黄色で、大便は秘結の傾向がある。浮腫には勢いがあって、圧迫した凹みがすぐに元に戻りやすい。食後お腹が張って苦しく、?気、呑酸などが起こる。浮腫を圧して陥んで下に戻らないのを虚腫というが、一見虚腫にみえて実腫があるから、脈状その他を参照して鑑別する必要がある。
〔かんどころ〕食事を一杯食べても三杯も四杯も食べたように、腹が苦しくなるという。そして皷脹、腹水、浮腫があり、心下痞?し、小便が少なく、大便秘結し、腫れに勢いがあって、脈沈実のものに用いる。
〔応用〕滲出性腹膜炎・腎炎・ネフローゼ・腫水・皷脹・肝硬変による腹水などに用いられる。
〔附記〕本方の中の枳実を枳殻に代えたものを実脾飲という。分消湯は皷脹を主とし、実脾飲は腹水を主とする。やや虚して停水が強い。
〔治験〕輸胆管潰瘍兼肝臓肥大
 57才の男子、体格は長大、栄養もそれほど衰えていない。顔色は特有で黒褐色、煤を塗ったようである。酒を好み、昨年より黄疸を発し、腹水著明となり、入院して精密検査の結果、前記の病名をつけられた。
 1ヶ月半ばかり入院治療をうけたが、これ以上腹水は去らないから退院するがよいといわれて自宅療養をしていた。脈状に大した変わりはなく、舌白苔少し、全身皮膚は恰も魚の薫製のように黄褐色である。腹部膨満して波動著明、腹囲は84糎で、肝二横指触れる。体動事呼吸困難と心動悸を訴える。食欲と便通は普通、尿は7回で合計700位、食事をすると心下部がとても苦しいと訴える。分消湯 に小柴胡湯を合方して与えたところ、尿量は増加し、腹水も漸次減少し、皮膚の黄褐色も消退し、服薬2ヶ月で殆ど治癒した。

                                  矢数道明

p180
89.〔防風通聖散〕(ぼうふうつうしょうさん)
〔出典〕宣明論
〔処方〕当帰、芍薬、川?、梔子、連翹、薄荷、乾生姜、荊芥、防風、麻黄 各1.2 大黄、芒硝 各2.0 白朮、桔梗、黄?,甘草 各2.0 石膏3.0 滑石5.0
〔目標〕この方は宣明論の中風門に「中風、一切の風熱、大便閉結し、小便赤渋、顔面に瘡を生じ、眼目赤痛し、或いは熱は風を生じ、舌強ばがり、口噤し、或いは鼻に紫赤の風刺?シン(シンはやまいだれに軫)(いんしん)を生じ、(酒査鼻のこと)而して肺風(喘息様)となり、或いは癘風(れいふう、癩病様)となり、或いは腸風(痔疾患)あって痔漏となり、或いは陽鬱して諸熱となり、譫妄狂する等の症を治す」とある。
 本方は肥満卒中体質者に用いられることが多く、体内に食毒、水毒、梅毒、風毒など、一切の自家中毒物が鬱滞しているものを、皮膚、泌尿器、消化器を通じて排泄し解毒する作用がある。
 本方は臍を中心として病毒が充満し、俗にいう太鼓腹で、重役型の体質者に多く、便秘がちで、脈腹共に充実して力あるものに用いる。中にはそれほど腹満者でなくとも、本方の適応するものがある。
 本方を服用して、食欲が衰えたり、不快な便通で腹痛がひどいようなときは、他の処方を考えるべきである。
〔かんどころ〕臍を中心に腹部充実し、三焦皆実するというもの。
〔応用〕肥満体質者、常習性便秘、高血圧、中風予防、脳溢血、慢性腎炎、頭瘡、丹毒、禿髪症、発狂、酒査鼻、痔疾、梅毒、皮膚病、蓄膿症、喘息、糖尿病、癰疽等
〔治験〕頑固な頭痛
 76才の老婆。この人は50年来頑固な頭痛に悩まされてきた。あらゆる頭痛止めの売薬を飲んだが治らない。約8年前から血圧が高くなり、時々200位に達する。1ヶ月前から左の顔面神経が麻痺状となり、言語障害も起こり、便秘して7日に1回位しかない。
 この患者はそれほどひどい肥満者ではなかったが、腹証に本方の証が潜在していると診られたので、二陳湯を加えて与えた。
 服薬後快く便通があり、3日目になると、50年来のあの頑固な頭痛がきれいにとれ、忘れ物をしたようで、頭痛止めの売薬の必要が全くなくなった。頭痛ばかりでなく血圧も2ヶ月後には140−70となり、すべての状態がよくなった。否定型的本方証である。

                                  矢数道明 


                                
p182
90.〔補気健中湯〕(ほきけんちゅうとう)
〔出典〕済生方
〔処方〕茯苓5.0 白朮4.0 陳皮、蒼朮、人参、沢瀉、麦門冬 各3.0 黄?、厚朴 各2.0
〔目標〕この方は済生方の皷脹門に「皷脹を治す。元気、脾胃、虚損、宜しく中を補い、湿を行らし、小便を利すべし。切に下すべからず」とある。
 実腫のときは柴苓湯・分消湯 ・五苓湯・木防已湯などを用いるが、それらの適応時期を過ぎ、虚証となり、元気衰えたものを目標とする。浮腫は力なく、軟弱で、圧迫による陥没がなかなか元に戻らない。
〔かんどころ〕虚腫に属するが、附子を用いるほどにはならない。胃腸の弱ったものによい。
〔応用〕皷脹・腹水・浮腫の虚証に属するものによい。肝硬変症・慢性腹膜炎・慢性腎炎・ネフローゼ・心臓弁膜症による浮腫などに応用される。
〔附記〕「医林集要」の補中治湿湯は、本方より沢瀉を去り、当帰、木通、升麻を加えたものである。虚証の腹水、皷脹を治す。
 人参、白朮 各4.0 蒼朮、茯苓、陳皮、麦門冬、当帰、木通 各3.0 黄?、厚朴 各2.0 升麻0.3
〔治験〕肝硬変症(肝臓癌の疑い)
 66才の老人、黄疸と腹水で胃腸病院に入院し、肝硬変症といわれた。腹水はますます増加し、いろいろ検査の結果、肝臓癌の疑いが濃くなった。腹水を4回も穿刺したが、衰弱と腹水は加わるばかりで、意識混濁し、大小便失禁、熱が出て、遂に不治といわれて自宅に引き取った。そして家族は最後の看病をするようにいわれたという。
 退院後3日目に往診したが、昏睡の状態でうわごとをいっていた。腹は太鼓のようで、穿刺の跡から腹水が泉のように流れ出して、布団を濡らしている。胸部以下は浮腫がひどくて、褥瘡が大きく、水死人をみるようであった。両便共に失禁していて、体温は38度5分あった。
 私も、もはや手の施す術なきことを告げたが、諦めのために薬を乞うというので、補中治湿湯を与えた。すると不思議にも3日目から尿快通し、意識明瞭となり、食欲が出て、1ヶ月後には床の上に座るようになった。そして2ヶ月後には殆ど旧に復し、大体3ヶ月後には業務に就くことができた。以後奇跡的に健康体となり、8年間元気で働いていたが、脳溢血で難の苦痛もなく亡くなったという。

                                  矢数道明